東芝問題の視点:巨大先端技術の継承の難しさ2017年04月06日 11:18

東芝が2006年に買収したWHが、米国原発建設で巨額の損失を出す見込みとなり、米国の破産法の適用申請し、親会社の東芝は、巨額損失計上で債務超過を回避して存続するため、半導体事業の売却を株主総会で決めた。

 

東芝グループでエンジニアとして、また経営者として会社人生を送ってきたOBの一人として、極めて残念な事態で、この難局を東芝グループ従業員一同が乗り越え、復活してくれることを願っている。

 

一方、私の経験から今回の事態は、福島第一原発の廃炉作業に深くかかわる東芝でもあるだけに、このことは一企業の問題だけではなく、大切な技術継承問題とかかわっていると考えてきた。そこで、今回は、私自身の経験を踏まえてこの問題に関して私の視点を述べてみたい。

 

東芝がWHを買収した2006年当時は、私は東芝本体を離れてグループ会社の経営に携わっていたので、買収の経緯については承知していない。

買収の話を最初に聞いたときは正直言って驚いたことを覚えているし、当時、WHはBNFLがお荷物として売却しようとしていただけに、他社に比して大きな金額を提示しての買収だと報道されていたから、デューディリはしっかりできたのか、PWR技術評価ができるのか、個人的には大丈夫なのかなと思ったことを覚えている。ただ、BWRだけでなくPWRをもって世界に出ていく(世界の原発建設計画はBWRよりPWRの方が圧倒していた)という高揚感が東芝本体にはあったようだ。

 

東芝本体の原子力技術には、BWRで最先端のABWRを完成させ、巨大先端技術である原子力発電所建設の世界トップ企業の一つとしての誇りを持っていたし、私自身も会社生活の大半をそうした技術開発やプラント建設に携わってきたことを誇りに思っていた。

 

今回、報道されているWHの米国原発建設における巨額の損失の原因については、米国での新規原発建設がTMI事故以来止まっていたことによって、建設経験のあるエンジニアが米国にいなくなっていたこと等が指摘されているが、私の経験からしてもこの問題は極めて重要な点だと考えている。

 

原子力発電所建設というのは、大変な工事量を伴う巨大プラント建設プロジェクトであり、プラント建設を工程計画通り進めていくためには、膨大なエンジニアリングが必要とされる。

特に、建設現場で、実際の機器や配管をどこに、どの順番で設置し、さらに電気配線工事等の他の工事との干渉をさけて円滑に進めていくことはキーポイントであり、この調整エンジニアリングを、我々はコンポ調整(Composite Adjustment)と呼んでいたが、このためには、十分な建設経験がものをいうのである。

もちろんこのエンジニアリング業務も、それぞれの部門が図面を持ち寄って調整するようなことが当初は行われてきたが、やがて3次元CAD技術を使って行うようなエンジニアリングの改善が実現し、単なる経験に基づくものでなくなってきたのは事実である。

 

しかしながら、私個人の経験から言えば、同じ軽水炉でもBWRとPWRはあまりにも違いすぎるのである。BWRの経験しかないエンジニアが、PWRのエンジニアリング業務を主導していくことができるとは、とても思えない。複雑な巨大プロジェクトの原発建設業務でWHがコスト増に苦労しているとき、東芝本体の原子力部門は、東芝の技術、経験から十分にコスト増を抑制できると甘く考えていたと一部では報じられている。

これは、巨大先端技術に関する自社技術の過信、慢心であり、福島第一原発事故の要因について、反省を踏まえて私なりに考えてきた日本の原子力技術者の慢心にもつながっていたものでなかったと思う。

WHにも原発建設経験のあるエンジニアはおらず、東芝にはBWR経験者しかいない。これでは残念ながらエンジニアリング業務をきちんと進めていくのは難しくなるし、実は日本では優れている現場技術(現場工事の最後の調整力は、経験を有する現場工事者)を期待できない米国での建設は、コストが膨れていくことが避けられなかったのであろうと推察している。

 

この問題は、巨大先端技術の技術継承の問題に他ならない。そこには、技術経験(失敗で学ぶし、成功で学ぶ)はやはり重要なポイントであるとつくづく思う。私は、原子力技術については自信をもって東芝というメーカに入ったが、最初に原発建設現場に行ったとき、圧倒的なコンクリート、機器量、膨大な配管、ケーブル等を目の当たりにして、プラント建設のエンジニアリングを本当に謙虚に学び、経験したいと思ったことを思い出す。

 

巨大先端技術は、一度技術、経験をなくすと、それを取り戻すには途方もない時間とコストが必要になってくる。

 

福島第一原発の廃炉は、日本の最大の技術課題であり、巨大先端技術プロジェクトである。このための技術開発と継承には、多くの研究者、エンジニアがこれからも携わっていかなければならない。東芝自身もこの問題を先頭になって解決していくメーカとして、決して技術者をこの分野から失ってはいけないし、日本全体で人材確保に注力してほしいと切に思うのである。




大阪高裁の高浜3,4号機運転差し止め仮処分決定取り消しに関して2017年03月29日 14:21

このブログでは昨年4月、川内1,2号機の運転差し止めを福岡高裁が棄却した際にも、

正しい事実認識に立った判断、決定でなければ、信頼のないものだと述べた。原発の安全性にかかわるような科学技術上の問題については、科学的、客観的に正しい認識に立った上での判断が何よりも大切なのである。

 

その意味で、予想していた通りとはいえ、昨年3月に指摘したような大津地裁の正しい事実認識に基づかない判断、決定が取り消される結果になったことは、司法の信頼にとっても良い結果になったと考えている。

 

しかしながら、一部マスメディアでは、科学的、客観的な正しい事実認識に立脚しようとせず、相変わらずゼロリスク論で感情論を先行させる論調(朝日新聞社説:あまりに甘い安全判断、毎日新聞社説:「万が一」に応えていない、東京新聞社説:あと戻りしてないか)が目立っており、残念なことである。

 

ただ、今回の再稼働反対論の新聞の中にも、今回の大阪高裁判断で、大津地裁決定での「福島第1原発事故の原因究明は建屋内の調査が進んでおらず今なお道半ばの状況で、本件の主張状況に照らせば津波を主たる原因として特定できたとしてよいのか不明」という福島の事故原因不明論が否定されたことに関しては、さすがに明確な反論ができないようで、毎日新聞が「 福島の事故で原発の安全神話は崩れ、原因究明も十分とは言えない」と述べる以外は、表立って反論していない。

実は、ほとんど報道されることはないが、先日の福島からの避難者に対する損害賠償に関して、国や東京電力の津波予見性を認めて賠償を命じた前橋地裁判決でも、明確に福島第一原発事故の直接原因は、地震でなく津波であると判断されているのである。

 

私は科学的、客観的な事実認識に立脚したうえで判断するのなら、それぞれの見識であり、多様な考えがあってもよいと考えるが、間違った事実認識に基づいて主張する、さらに悪い場合は、間違った事実認識に人を導くような主張をする人を決して信頼してはいけないのである。

 

このブログで取り上げてきた原発再稼働や放射線被ばくの問題とは違うが、最近マスメディアを賑わしている東京都の豊洲新市場の問題でも、議論している方が科学的、客観的な市場としての安全性の事実認識に立っているかどうかを見極めることが大切だと思う。

 

この点、当初は環境基準を大幅に上回る地下水測定結果で騒いでいたテレビなどでも、地下水の環境基準の意味と測定値の市場安全性に関する判断が冷静に語られるようになってきたことは、良い傾向ではないだろうか。




福島第一原発事故から6年:相変わらずの不安を煽る報道と客観的事実、真実の大切さ2017年03月13日 15:46

先週で3.11東日本大震災、福島第一原発事故から6年経過ということで、毎年のことでマスメディアがいろいろ特集をやっている。

このブログでは、約1年半前の2015年7月29日の記事で、福島の復旧に関する情報が増えてきて「福島第一原発事故:取り返しがつくと認識され始めているのではないか」という考えを述べた。

今年は、4月から一部を除いて帰還困難区域以外の地域での避難指示が解除され、住民の帰還が可能になるということも報道されている。

テレビでは、避難指示が解除されることになる津波に流された富岡町の駅周辺の復旧状況や、常磐線の復旧の予定等も伝え、あの有名な夜ノ森公園の桜並木の除染復旧も視野に入ってきたようで、30年以上も前、福島第二原発の1号機や3号機の建設時に、担当者として何度もかよった富岡駅周辺の復旧状況を懐かしく、またうれしい思いで見ることができた。

6年前には「取り返しが付かない」と考えた土地でも、除染により帰還が可能になるということで本当によかった考え、関係者のこれまでの努力に敬意を表したいが、それでも相変わらず、テレビ朝日の報道ステーション等の一部マスメディアでは「避難解除後も消えないホットスポット」、「避難指示解除まで1カ月、厳しい選択を迫られる住民」というような放射線に関する恐怖をことさら煽るような報道が繰り返されている。

 

一方、具体的な福島の放射線レベルは福島県(http://fukushima-radioactivity.jp/pc/)や原子力規制委員会(http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/)のサイトなどで誰でも簡単に現在の状況や推移を知ることができ、着実に改善されてきていることは知ることができるのである。

 

こうした中で、DIAMOND onlineには、3月10日に林智裕氏の「「人殺し」と言われたことがありますか?福島とデマ、6年目の訴え」(http://diamond.jp/articles/-/120730)、3月11日に開沼博氏の「廃炉について、デマと誤報を乗り越えるための4つの論点」(http://diamond.jp/articles/-/120900?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor)の記事が掲載され、このブログで何度も指摘してき実際の事実認識に基づかないタメにする報道や煽り、誤報を糾弾する指摘も出てきた。

 

林氏の記事では、私がこのブログの「放射線の知識」で指摘してきた放射線の危険を極端な言説で煽った人たち(放射線の知識第42回で指摘した武田邦彦氏等)の責任について言及され、福島県の甲状腺がんの状況や実際の個人被ばく線量に関する結果等の紹介から、

「新たな「神話」を創作することではなく、思い込みを排除した客観的な事実、空想ではなく現実に向き合い続けることでしょう。危険ならば危険、安全ならば安全。それは客観的な事実の積み重ねのみによって語られるべきです。」

と、私が主張してきた論点と同じことを語っておられる。

 

開沼氏は、2月に実施された福島第一2号機の内部を調査する過程で過去にない高放射線量が検出されたことの報道から、韓国の済州航空が福島へのチャータ便運航をやめたことや1Fの廃炉作業の進展に関しての報道の伝え方の問題を指摘している。この済州航空の件は開沼氏の記事で私は初めて知り、報道の仕方、マスメディアの責任というものをあらためて認識した。

私は、関係者の懸命の努力で汚染水対策には大きな前進が見られているし、残っている大きな問題はトリチウムを含んだ処理水の海洋放出問題だと考えている。取り返しのつく状態に近づけるためにも最優先課題として、政府は東電を全面的に支援し、この問題について前面にも立って、漁業関係者と話し合い、風評被害を引き起こさないよう対応すべきだと考えるが、一方、この問題の今後の報道の仕方に関しては、マスメディアの責任が極めて大きいと考えている。これからも注視していくつもりである。

 

いずれにしろ、我々は極端な言説に騙されることのないように科学的リテラシーを高める必要があるのであり、このブログでも今後も変わらずに、客観的事実に基づく正しい科学技術認識を発信していく所存である。




熊本地震と川内原発に関して2016年04月22日 12:06

昨日で最初の震度7の熊本大地震から1週間になる。この間、一部のマスメディアや野党の政治家、反原発主張の人々が、川内原発の運転停止を求める主張を展開している。

 

このブログでは、原発の再稼働問題に関して、裁判所の決定や一部のマスメディアの報道に関してその都度見解を示してきたが、科学技術上の政策判断に関わるこのような問題について、相変わらず客観的な事実に基づかない感情的、あるいはタメにする意見や主張が横行し、冷静な議論を妨げる結果になっていることを残念に想う次第である。

 

今回はそのような主張の典型である東京新聞の社説(4月16日と20日の2回にわたって主張)に関して、誤りを指摘する(私の見解は前回同様朱記部)ことによって、状況を多くの人に理解していただきたいと考える。

 

4月16日東京新聞社説より:
「日本はやはり地震国。九州を襲った「震度7」に再び思い知らされた。福島第一原発事故のそもそもの原因は、地震である。その原点に立ち戻り、原発の安全対策の在り方を再点検するべきだ。」
「国会の福島第一原発事故調査委員会は、原因は津波だけでなく「地震による損傷の可能性も否定できない」と指摘。「小手先の対策を集積しても、根本的な問題は解決しない」と結論づけた。」
→福島第一原発事故の直接原因は地震ではなく、対策を実施していなかった想定を超えた津波による電源系統の機能喪失であることは、科学技術上決着済みの事項であり、国会事故調の「地震による損傷の可能性も否定できない」との指摘は否定されている。ところが、東京新聞は、地震によって福島の事故が引き起こされた可能性を繰り返し指摘している。

これは事実に基づく報道というジャーナリズムの立場から逸脱したもので、極めて残念なことで、このような主張をすること自体が、その見解が信頼されないことをこの社説氏はわかっていないようである。

 

「原発は無数の機器と複雑な配管の固まりだ。見かけは正常に動いていても、強い震動がどの部位にどんなダメージをもたらすか。その積み重ねがどんな結果につながるか、未解明のままなのだ。断層のずれは、想定外の地震を起こす。熊本地震の教訓だ。」
→強い振動の積み重ねがどんな結果になるか未解明のままだというのなら、耐震設計など存在しないことなる。原発には多数の機器や配管があるが、安全上の重要度分類にしたがって、耐震設計の重要度が決められており、実験に基づいた科学技術知見にもとづいて、十分な裕度をもたせてそれぞれ耐震設計が行われている。新規制基準では設計上の基準地震動に見直しが行われたが、今回の熊本地震の断層のずれは、存在の分かっている活断層のずれであり、川内原発の基準地震動を策定する上でこの活断層のずれは考慮されており、想定外の地震というのは全く事実に反する主張である。

 

4月20日東京新聞社説より:
「規制委は、川内原発の再稼働を認めた審査の中で、今回の地震を起こした布田川・日奈久断層帯による地震の規模はマグニチュード8・1に及ぶと想定したが、原発までの距離が約九十キロと遠いため、影響は限定的だと判断した。熊本地震は、その規模も発生のメカニズムも、過去に類例のない、極めて特異な地震である。複数の活断層が関係し、断層帯を離れた地域にも、地震が飛び火しているという。通説とは異なり、布田川断層帯は、巨大噴火の痕跡である阿蘇のカルデラ内まで延びていた。海底に潜む未知の活断層の影響なども指摘され、広域にわたる全体像の再検討が、必要とされている。正体不明なのである。未知の大地震が起きたということは、原発再稼働の前提も崩されたということだ。新たな規制基準は、3・11の反省の上に立つ。「想定外」に備えろ、という大前提があるはずだ。未知の地震が発生し、その影響がさらに広域に及ぶ恐れがあるとするならば、少なくともその実態が明らかになり、その上で「問題なし」とされない限り、とても「安全」とは言い難い。過去の想定内で判断するということは、3・11の教訓の否定であり、安全神話の時代に立ち戻るということだ。」
→熊本地震は、その規模も発生のメカニズムも、過去に類例のない、極めて特異な地震で、正体不明で、未知の大地震としているが、布田川・日奈久断層帯の地震であることは明確で、未知でもなく想定されている地震である。マグニチュード7クラスの地震があり、6や5の地震が起きているが、活断層帯での地震であって、その規模も想定内のことであり、東日本大震災のような当時の想定外とは状況が違っている。未知の大地震が起きたので、原発再稼働の前提が崩れたというのは全く事実に反している。

 

原発の耐震設計は、まず活断層上に安全上の重要施設があってはならないということ、その上で耐震設計は基準地震動をサイトごとに科学的、合理的な判断で設定し、その基準地震動に対して健全性を維持する(実際の設計上は十分な裕度をもって対応されている)ことを担保するものである。また、今回の熊本地震での多くの家屋の損壊に関しては、地盤自体が火山灰の堆積構造で軟弱であったと指摘されているが、原発の場合にはその重要施設は強固な岩盤上に設置することとされており(私自身は建設中の原発の初期段階に何回か岩盤そのものを見ており、ひとつの記念として東北電力の女川3号機の原子炉建屋の岩盤の石を持っている)、そうした問題も生じないのだが、そうした状況の違いは考慮せず、大地震が起きたから原発は危険であるという単純な感情論でしかない。

 

想定外に備えるために、新規制基準では地震等の外部事象で重大事故が起きることを前提にその対策を求めているのだが、そのような新規制基準対応を正確に理解しないで主張することは不毛な議論で残念なことであるし、2回にわたって不正確な事実認識に基づいて主張するこの社説氏に抗議したい。




原発再稼働問題:川内1、2号機 福岡高裁宮崎支部の運転差し止め棄却決定に関して2016年04月07日 13:40

これまで、このブログでは、科学技術上の問題については、正しい事実認識に立ったうえでの判断、決定でなければその主張に論拠はなく、かえって信頼を失うことになると、繰り返し主張し、前回、大津地裁の高浜原発3、4号機運転差し止め決定に関しても述べてきた。

 

昨日の福岡高裁宮崎支部の決定は、その意味では妥当なものだと考えるが、今日の新聞各紙の社説を見ると、脱原発を主張する各紙は相変わらず、正しい事実認識に立って主張しているのでなく、かってに解釈したり、思い込んだ見解を基に再稼働反対主張をしていて、主張の底の浅さを露呈した格好になっており、再稼働反対派にとっても残念な結果になっているのではないだろうか。

 

私は、正しい事実認識に立ってからの主張であれば、自分はこのリスクは容認できないという立場で再稼働反対でもよいと思うし、多様な意見から民主制の手法にしたがって施策を決定していけばよいと考えている。

 

科学技術的な事実認識を共有できれば、そこに話し合いの余地が生まれ、より良い政策判断ができると考えているからである。それが、最初から誤った事実認識であれば、共通の基盤がなく、福島第一原発事故前のような二項対立論に逆戻りし、安全性向上の機運を損なうものになることを恐れるからである。

 

今回は、脱原発主張の代表紙である朝日新聞の社説における事実認識の誤りを指摘(私の見解は朱記で示す)し、マスメディアやジャーナリズムに反省を求めるとともに、皆さんにポイントを理解していただきたいと思う。

 

4月7日朝日新聞社説より:

「今回の福岡高裁宮崎支部は「一度に避難する事態に対応できない」「バスが足りない」など住民側が主張する問題点を指摘できるとしても、「避難計画がないわけではない」と、住民の人格権の侵害には当たらないとした。福島の事故では、多くの住民がスムーズに避難できずに混乱に陥った。その現実を十分に考慮した結論とは思えない。」

 

→大震災による福島第一原発事故の際、多くの住民がスムーズに避難できず混乱に陥ったというのはその通りだと思うが、だからこそ、防災基本計画や原子力対策指針が見直され、それに従った避難計画は川内原発でも策定されている。また、福島と川内では炉型も違う(BWRとPWRでは格納容器の大きさも違うし、想定事故の進展状況も違う)し、過酷事故時の放出放射能量も新基準ベースでは福島の100分の1以下になるという評価に基づいた現実的な避難計画(一度に多くの住民が一斉に避難するのでなく、屋内退避を含めたそれぞれのサイトに適した避難計画)が大切で、また、完全な避難計画など存在せず、訓練等と通じて不断に見直し、より良いものにすることが重要なのだが、この新聞の主張は、正しい事実認識に基づかないで、それこそ、「現実を十分に考慮した結論とは思えない」。

 

「高裁はガイドが噴火の時期や規模を的確に予測可能としていることを「不合理だ」と認定した。それなのに、原発を襲う破局的噴火のリスクの頻度は低いなどとして、「可能性の根拠を示さない限り無視できる」とした。不備を認めながら、リスクは「発生の頻度が低いから無視し得るのが社会通念だ」と結論づける。それは、想定外が起きた福島の事故をふまえた態度といえるのか。」

 

→「想定外が起きた福島の事故をふまえた態度といえるのか」と感情論で指摘するが、福島の事故原因だった津波と巨大噴火という自然災害の発生頻度を同一に見るという事実認識の誤りであり、これでは、隕石落下すら想定しなければならず、ゼロリスク論から向け出せていないのである。

東日本大震災時のような津波は、千年に一度程度の発生頻度が想定されるが、上記の主張で問題にしている巨大噴火は1万年に一度程度の発生頻度と考えられ、南九州全体が壊滅するような噴火であり、これを今現在考慮しないといけないのなら、そもそも南九州に人が住んではいけないことになる。だが、現実に多くの人が生活しているのは、まさに「発生の頻度が低いから無視し得るのが社会通念」になっているからではないか。

 

「福島の事故の原因は定かでなく、いまなお約10万人が避難生活を送る。だからこそ各種世論調査で再稼働に慎重な声が過半数を占めるのではないか。」

 

→福島第一事故の直接原因が、対策を想定していなかった大津波であることは定かであり、科学技術上は決着した問題であるが、相変わらず定かでないと主張する。再稼働に慎重な声が過半数を占めてもよいと考えるが、この社説氏のように、正しい事実認識に基づかないで、感情論で判断しているのであれば、それは残念なことだと私は思う。