論語四十八の言葉(48)「浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂明也已矣、浸潤の譖(そしり)、膚受(ふじゅ)の愬(うったえ)行われざる、明と謂うべきのみ。」2016年07月22日 11:27

孔子が、子張から聡明とはどういうことかと問われて答えた言葉である。浸み込むようなじわじわとくるつらい悪口や肌身に受けるような痛切な訴えに人は心を動かされて、おだやかでいられないものだが、そうしたことに関しても、動ぜず、物事の本質を判断できるなら聡明と言ってよいだろうと語っている。

 

耐えがたいような誹謗中傷や情感に訴える言質に接すると、ややもすると人は動じて心穏やかでなく、判断を過つことがあるもので、そうしたことのないよう、常に本質を見極める大切さをこの言葉を戒めとして、心にとめてきた。




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