原発再稼働問題:大津地裁高浜3、4号機停止命令に関して2016年03月10日 15:49

昨日、大津地裁が、関電の高浜3、4号機の運転差し止めの仮処分決定を行った。

 

高浜3、4号機は、福井地裁の差し止め決定、その仮処分取り消し決定と正反対の判決が出て再稼働されてきたが、またまた停止の仮処分決定である。おそらく、今回の決定も関電側の異議申し立てで取り消されるものと考えるが、福井地裁の差し止め決定と同じく、正しい事実認識に基づかない司法判断が繰り返されることは、裁判の信頼性に疑問を投げかけることになるのを憂うものである。

 

報道されている決定要旨文からみると、今回の山本裁判長による大津地裁の判断は、事実認識上の誤認があるうえに、最初から結論ありきで、関電側の説明不足で安心できる状態にないという決定主旨からは、裁判の上で事実認識を深めようとする努力すら放棄しているようにしか見えないのは、極めて残念である。

 

以下報道されている決定要旨の中から、私なりの問題点(朱記部分)を指摘しておきたい。

 

決定要旨より

 

「福島第1原発事故の原因究明は建屋内の調査が進んでおらず今なお道半ばの状況で、本件の主張状況に照らせば津波を主たる原因として特定できたとしてよいのか不明。その災禍の甚大さに真摯(しんし)に向き合い、同様の事故を防ぐ見地から安全対策を講ずるには原因究明を徹底的に行うことが不可欠」
→この問題は、このブログでも何回も指摘してきた。福島第一原発事故の直接原因は津波によるものであることは、科学技術上、既に決着のついている問題で、昨年9月にこのブログで紹介したIAEAの報告でもそのことは、明記されている。大津地裁の判断は、こうした科学技術上の事実認識を理解する努力を最初から放棄しているようで、一部のタメにする人物やマスメディアの論調(今日もラジオ出演の専門家でもない政治評論家の一人が同じことを言っていた)と同じで、このような事実を捻じ曲げる言説には強く抗議したい。

 

「災害が起こる度に「想定を超える」と繰り返されてきた過ちに真摯に向き合うならば、十二分の余裕をもった基準とすることを念頭に置き、常に他に考慮しなければならない要素や危険性を見落としている可能性があるとの立場に立ち、対策の見落としにより災害が起こる度に「想定を超える」と繰り返されてきた過ちに真摯に向き合うならば、十二分の余裕をもった基準とすることを念頭に置き、常に他に考慮しなければならない要素や危険性を見落としている可能性があるとの立場に立ち、対策の見落としにより過酷事故が生じたとしても、致命的な状態に陥らないようにすることができるとの思想に立って、新規制基準を策定すべきものと考える。」
→今の新規制基準は、過酷事故発生時の対応が規制の枠外であったことの反省に立ち、まさに「対策の見落としにより過酷事故が生じたとしても、致命的な状態に陥らないようにすることができるとの思想に立って、新規制基準を策定」されているのであって、こうした表現からは、実際の規制基準の中身にどれだけ踏み込んで検討したのか疑わしい。

 

「ディーゼル発電機の起動失敗例は少なくなく、空冷式非常用発電装置の耐震性能を認めるに足りる資料はなく、電源車などの可動式電源については地震動の影響を受けることが明らか。非常時の備えが完全であることを求めるのは不可能としても、また原子力規制委員会の判断で意見公募手続きが踏まれているとしても、このような備えで十分との社会一般の合意が形成されたといってよいか躊躇せざるを得ない。」
「関西電力の調査が海底を含む周辺領域全てで徹底的に行われたわけではなく、その調査結果によっても断層が連動して動く可能性を否定できず、あるいは末端を確定的に定められなかったのだから、このような評価をしたからといって、安全余裕をとったとはいえない。 関西電力がこのように選定された断層の長さに基づき、その地震力を想定するものとして選択した方式が、地震規模想定に有益であることは当裁判所も否定しないが、サンプル量の少なさからすると科学的に異論のない公式と考えることはできない。」
「海岸から500メートルほど内陸で津波堆積(たいせき)物を確認したとの報告もみられ、関西電力の津波堆積物調査やボーリング調査の結果によって、大規模な津波が発生したとは考えられないとまでいってよいか疑問は残る。」
→これら3カ所の記述は、関電側の主張及び疎明が尽くされない場合は、関電側の判断に不合理な点があると事実上推認されるという判断論理と違って、どういうわけか裁判所自らが技術的評価を行っており、その判断の根拠が不明確で恣意的に見えるのは残念である。

また、上記最初の電源に関連した過酷事故対策の点では、その技術評価(リスク低減の程度)は正しく認識しているが、それを許容するか否かの一般の合意形成が不十分との指摘ならわかるが、明確な理由もなく技術評価そのものに疑問を呈しており、論理に飛躍がある。

 

このように、科学技術上の問題については、正しい事実認識に立ったうえでの判断、決定でなければその主張に論拠はなく、かえって信頼を失うことになるのではないだろうか。我が国の司法にとって、それは残念なことである。




福島の子供の甲状腺がん:テレビ朝日「報道ステーション」に強く抗議する2016年03月16日 11:15

58.福島の子供の甲状腺がん:テレビ朝日「報道ステーション」に強く抗議する

 

3月11日、大震災から5年ということで、多くのマスメディアが大震災や原発事故の問題を取り上げ報道していた。その中で、テレビ朝日の「報道ステーション」をたまたま見ていると、福島の子供達に実施されている甲状腺検査で、甲状腺がんないしはその疑いのあるとされた子供たちが多いという点をまた取り上げていた。

 

この福島の甲状腺がんの報道は、2年前から3年連続でこの番組で行われ、その都度、このブログ(2014年3月の第44回、2015年2月の第53回)では、この問題に対する正しい理解は何かを示し、科学技術上の問題を客観的に正しく報道するのでなく、センセーショナルに報道することは残念であり、騙されてはいけないと指摘してきた。

 

今回の報道は、客観的、科学的に評価される被ばく線量との関係などは何ら示さないという点では前2回と同じであるが、実際にがんと診断されて手術した人の話やがんと診断された親の話など視聴者の感情論に訴えることを前面に出して、「放射線の影響とは考えにくい」という福島県の検討委員会の見解に対して疑問を投げかけるという、まさにタメにする報道の典型で、科学技術上の問題をこのような取り上げ方で繰り返し報道することに、強く抗議したい。

この報道を見られた方も多くいると思われるので、今回は、この報道の問題点を指摘し、正しい理解を深めたい。

 

<正しい理解のために>

 

報道内容の問題1

報道では、検査によって甲状腺がんないしはその疑いのあるものが、これまでわが国で把握されている甲状腺がんの罹患統計などから推定される有病数に比べて20-50倍多いということを、岡山大学の津田氏らの論文や発言(放射線の影響)を紹介するとともに、この原因は何かという点で、過剰診断を指摘する国立がん研究センターの津金氏の主張等も紹介するが、それを否定する方向の発言を断片的に取り上げ、結局被ばくとの関連の可能性を主張する方向に持っていく。

 

まず、岡山大の津田氏らの論文であるが、私もこの論文は読んだが、一体これが学術論文として投稿発表するものだろうかと最初に感じたことを言いたい。

まり、論文の内容は、福島県が実施し発表している甲状腺検査の結果を紹介しただけと言ってよいもので、これまでの日本国内の罹患率データとしてがん研究センターのデータから100万人あたり3人という値(正確には19歳以下では100万人あたり2人、5-24歳で100万人あたり6.5人というデータから3を採用)を採用し、それと報告されている福島県の検査結果と比較して20-50倍と言っているだけである。

科学データとして比較をするのであれば、同じ条件、状態での結果でなければ意味がないのであるが、福島県の甲状腺検査と同じような検査データと比較しているのでなく、発病して病院に行き、がんと判明した人の割合(罹患率)と比較しているのである。こうした無意味な比較をどうどうと論文として発表して話題を提供し、記者会見で放射線の影響と発言する人が、国立大学の教授としていることに私は唖然としたが、典型的なタメにする似非専門家であるようだ。

その点、放射線の影響とは考えにくいとする意見として紹介されている津金氏や甲状腺がんの手術を担当されている福島県立医大の鈴木教授の話は極めて妥当な見解であるが、その話も編集して断片的にしか取り上げないで、放射線の影響を否定できない方向に持っていく編集方法で、我々はこのような報道に騙されてはいけないのである。

 

報道内容の問題2

放射線の影響を科学的に考えるのであれば、実際のがん患者の被ばく線量がどれぐらいなのかをまず示さなければならないのだが、福島県の検討委員会の中での弘前大の床波教授の説明、話を紹介し、チェルノブイリと比して低い(単に低いというより、このブログで紹介しているように推定被ばく線量値は桁が違うし、被曝したと考えられる人員数も桁が全く違う)ということは報道するが、それがどの程度であるかは全く報道しない。

特に、手術したがん患者の話を紹介するのであれば、その人の被ばく線量がどの程度であるのか(これは当時の行動から推定することを福島県は実施している)推定するのは可能である(番組の中でこの患者はどの程度被ばくしたのが知りたいと話をしていた)が、それをしないのは、あきらかにこの人は中通りの人と思われ、ほとんど被ばくが考えられないからだろう。

一方、それでは放送の意図を満足しないから、浪江の元小学校校長の話まで紹介して放射性物質が流れたルートを避難した児童がおり、疑問と不安は消えないと煽るのである。

床波教授の研究、発言も個々人の因果関係を議論するものではないという研究者として当たり前の主張を言っているだけのことだが、これも断片的に編集して取り上げるだけである。

さらに、チェルノブイリの悲惨さを大きく紹介し、ベラルーシの甲状腺がんセンターのデミチク所長の「被ばく線量が低くても甲状腺がん発症の可能性はある」という発言の紹介に至っては、放射線防護上、しきい値はなく、線量が低くてもがん発症の可能性はあるというこのブログで繰り返し紹介している放射線防護上の当たり前の立場を説明しているだけだが、福島のように被ばく線量が低いとがん発症の可能性は無視できるほど小さいという科学的評価のことは言わない。

また、2巡目で多くの患者が見つかったということを、三角形の年齢分布グラフで説明しようとするのは、全く意味がない(そもそも1巡目の患者の年齢分布が三角形でない)のだが、昨年の報道と同じく、事故から4年目頃からチェルノブイリで甲状腺がんが増え始めたということと関連付けて不安を煽りたいのであろう。

そして、未曽有の原発事故なので詳しいデータの積み重ねがないのだから、放射線の影響は考えにくいというスタンスを変えてもらわないと困るというキャスター発言で、科学的評価の上から、線量が低いため明確に影響が出る可能性は無視できるほど小さいということは言わないで、お決まりの、「放射線の影響はわかっていない、不明である」という不安を煽る発言で終了することに、何の意味があるのだろう。強く抗議したい。

 

 

 

 




論語四十八の言葉(46)「毋欲速、毋見小利、欲速則不達、見小利則大事不成(速やかならんと欲すること毋(な)かれ。小利を見ること毋かれ。速やかならんと欲すれば則ち達せず。小利を見れば則ち大事成らず。)」2016年03月28日 11:17

孔子が、政治のことを子夏に聞かれて答えた言葉である。

早く成果をあげたいと思ってはいけない、小利に拘ってはいけない。早く成果をあげたいと思うと、かえって成功しないものだし、小利に気を取られると、大事は成し遂げられないものだと諭している。

 

これは何も政治だけのことでなく、物事を進める開発や、会社の経営にもそのまま当てはまるものだと、自分の戒めの言葉として大事にしてきた。